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「武家の姫君のような気高さ」と「武人のような豪胆さ」を併せ持ち、育成倶楽部への恩義に報いるために走るウマ娘、ファレノプシス。
ナリタブライアンやビワハヤヒデと幼馴染であり従姉妹(いとこ)という設定もありますが、
「元ネタになった実在の馬はどんな活躍をしたの?」
「どれくらい強かったの?」
と、気になっている方も多いのではないでしょうか?
そこでこの記事では、ウマ娘から競馬初めた初心者に向けて、幼少期の虚弱体質を乗り越え、何度も苦難に立ち向かった華麗で力強い名牝、ファレノプシスについて簡単にご紹介します。
ぜひ最後までご覧ください。
競走馬『ファレノプシス』とは?
https://umamusume.jp/character/phalaenopsis
競走馬『ファレノプシス』は1995年4月4日生まれの黒鹿毛の牝馬、1998年にクラシックを迎えた98世代と呼ばれる競走馬です。
名前の由来は日本で「蘭の王様」とよばれ、洋ランの代表格である胡蝶蘭の学名、ファレノプシスから。
ファレノプシスを語る上で外せないのが、超良血と言われるその血統です。
父はアメリカの競走馬で引退後日本に輸入され大成功し、トニービン、サンデーサイレンスと共に三強種牡馬と謳われたブライアンズタイム。
そして母のキャットクイルは、あのナリタブライアンやビワハヤヒデを産んだ名牝「パシフィカス」の半妹(異父妹)にあたります。
つまり、ファレノプシスにとってナリタブライアンとビワハヤヒデは「従兄」。
特にナリタブライアンとは父(ブライアンズタイム)も同じであるため、遺伝的には「血の75%が同じ」という非常に濃い繋がりを持っています。
ウマ娘のプロフィールで「ナリタブライアン・ビワハヤヒデとは幼馴染であり従姉妹」と設定されているのは、この史実が元ネタです。
また彼女の半弟には、2013年の日本ダービーを制したキズナや、アメリカ重賞を制したサンデーブレイクもいます。
そんな血統的期待を一身に背負って誕生したファレノプシスでしたが、幼駒時代は非常に体質が弱く、「すくむ体質(筋肉の代謝障害で身体が硬直してしまう症状)」や、熱の上がり下がりが激しい「逆体温」に悩まされていました。
さらにお尻やトモの筋肉が非常に細く、一時は「競走馬にすらなれないのではないか」と危ぶまれるほどであり、調教師である濱田光正氏も当初はその能力に懐疑的だったといいます。
しかし、生産者・育成牧場である「マエコウファーム(現ノースヒルズ)」の手厚いケア育成により、3歳の春頃から急速に状態が良化。
のちに名牝へと覚醒していくのです。
史実で対戦のあるウマ娘
- マチカネフクキタル
- ステイゴールド
- メジロドーベル
- セイウンスカイ
- ナリタトップロード
- メジロブライト
- ツルマルツヨシ
- テイエムオペラオー
- スペシャルウィーク
- グラスワンダー
同期のウマ娘
- スペシャルウィーク
- グラスワンダー
- セイウンスカイ
- エルコンドルパサー
- キングヘイロー
- ツルマルツヨシ
血統繋がりのウマ娘
- ビワハヤヒデ
- ナリタブライアン
- マヤノトップガン
- ダンツフレーム
- ノーリーズン
- タニノギムレット
- フリオーソ
交配相手のウマ娘
- フジキセキ
- スペシャルウィーク
- アグネスタキオン
- マンハッタンカフェ
- ヴィクトワールピサ
『胡蝶蘭は二度咲く』ターフで咲かせた輝かしい花
https://x.com/uma_musu/status/2091770256532619748
彗星のごとく現れたデビューから、挫折、そして引退レースでの奇跡的な復活劇まで。
ファレノプシス競走生活は、まさにドラマのような歩みでした。
衝撃デビューと怒涛の3連勝
ファレノプシスのデビューは1997年11月30日に阪神で開催された新馬戦ダート1400m、脚部への負担を考慮してダートでデビューすると、脚元の不安を払拭するかのように2着馬に9馬身差をつける大圧勝。
しかも当時の2歳コースレコードを更新する、衝撃的なデビューを飾りました。
続く12月21日開催の阪神・芝1400mさざんか賞(1勝クラス )では好位に取り付くと、直線で楽に抜け出して見事に1着を飾り、芝の適性もしっかりと証明します。
年明け初戦のエルフィンステークス(L)でも先行策から余裕の手応えで押し切り、無傷の3連勝。
一気に春の牝馬クラシック最有力候補へと躍り出ました。
しかしクラシック前哨戦、重賞初挑戦となったチューリップ賞(GⅢ)ではファレノプシスは食が細くなり馬体重がマイナス8kg、デビュー時からは-14kgと激減してしまいます。
スタートで大きく出遅れると、道中は終始馬群に包まれて身動きが取れず4着に敗戦。
陣営は状態の悪さに加え明確な騎乗ミスと判断し、若手の石山騎手からトップジョッキーの武豊騎手へと鞍上交代を決断しました。
満開の胡蝶蘭! 桜花賞と秋華賞の二冠達成
主戦騎手に武豊騎手を迎え、馬体重も前走から+10kgと戻り万全の状態で挑んだ牝馬クラシック初戦、桜花賞(GⅠ)。
レースはロンドンブリッジが引っ張るハイペースの中、ファレノプシスは中団の前目をスムーズに追走し、直線で外へ持ち出すと、逃げるロンドンブリッジを鮮やかに差し切ってGI初制覇を果たします。
この勝利は生産者・馬主のノースヒルズ(前田幸治氏)にとって、牧場開設14年目で念願のGI初タイトルとなりました。
クラシック二冠を目指し出走した優駿牝馬/オークス(GⅠ)は戦前の桜花賞(1600m)から比べ、「2400mの距離は長すぎるのでは」という距離不安説が囁かれていました。
武豊騎手も距離を持たせるために後方待機策をとり、直線で鋭く追い上げましたが3着に終わります。
レース後、武豊騎手は消極的になりすぎた自身の騎乗を非常に悔やみ、「これほど距離が持つとは思わなかった。失敗した」とコメントを残しました。
夏場は北海道へ放牧に出さずに栗東トレセンでじっくり過ごし、秋初戦は秋華賞トライアルのローズステークス(GⅡ)へ出走します。
オークスとは一転して先行策をとって快勝、2000mの距離も全く問題ないことをアピールしました。
そして迎えた本番の秋華賞(GⅠ)、2番人気で迎えた牝馬三冠最終戦は中団後方でじっくり脚を溜め、最終コーナーで先頭に並び掛けると、そのまま先頭からゴールまで押し切って堂々の優勝!
「秋の京都でも胡蝶蘭満開!ファレノプシスです!」
実況アナウンサーのという叫びと共に、見事桜花賞・秋華賞の「牝馬2冠」を達成しました。
3歳シーズンは6戦4勝、この年の「JRA賞最優秀4歳牝馬(現・最優秀3歳牝馬)」に満場一致で選出されました。
競走後にジャパンカップへの出走が表明されましたが、状態の不安から回避となり、ファレノプシフは休養に入ることになります。
スランプの暗雲と、涙の復活劇
二冠を達成したファレノプシスでしたが、古馬(5歳以上)になってからは苦難の連続が待っていました。
3月のマイラーズカップ(GⅡ)で1番に人気ながらも10着と大敗し、5月の京王杯スプリングカップ(GⅡ)ではグラスワンダーの0.2秒差の5着と健闘しますが、目標としていた安田記念(GⅠ)は直前に発熱(熱発)を起こし出走を回避して休養に入ります。
夏の札幌記念(GⅡ)で復帰すると、セイウンスカイの2着と復調の兆しを見せました。
その後は間隔を開け、秋の目標としていたエリザベス女王杯(GⅠ)へ1番人気で出走しますが、最後の直線で挟まれ、進路を失ったことで6着に終わります。
年末には有馬記念(GⅠ)にも出走しますが8着と大敗。
この年のファレノプシスは好走するものの勝ちきれず、勝利から遠ざかる厳しいシーズンとなりました。
不利を受けて敗れたエリザベス女王杯の雪辱を果たすため、ファレノプシスは翌2000年も競走生活を続行します。
しかし予定していたフェブラリーステークス(GⅠ)を蕁麻疹で回避すると、改めてマイラーズカップ(GⅡ)で復帰しますが10着と大敗します。
それだけでなく、レース後に脚部不安を発症し休養に入ることになりました。
前年と同じ様に札幌記念(GⅡ)で復帰しますが7着に終わり、レース後に球節炎を発症。
病気やケガが相次ぎ、勝てない日々が約2年も続いたことで
「もうファレノプシスの時代は終わったのか…」と誰もが思い始めていました。
陣営はエリザベス女王杯(GⅠ)を最後に、ファレノプシスを現役引退させることを発表しました。
順調な調整ができなかったものの、厩舎スタッフの懸命な仕上げにより、当日はまさに「究極の仕上げ」と言える最高の状態でパドックに登場します。
単勝オッズはフサイチエアデール、トゥザヴィクトリーに次ぐ3番人気、鞍上には久々のコンビとなる松永幹夫騎手を背に出走します。
レースはトゥザヴィクトリーが逃げるスローペースで進む中、ファレノプシスは絶好の5〜6番手を進み、4コーナーで前の2頭が競り合う中、手応え十分で外から進出。直線で粘るフサイチエアデールをゴール前で力強く差し切り、半馬身差をつけて見事に1着でゴール。
秋華賞以来、実に2年(約730日)ぶりの勝利。
競走生活の最後の最後に涙の復活GI制覇を果たし、見事な有終の美を飾りました。
この勝利が評価され、2000年度の「JRA賞最優秀5歳以上牝馬(現・最優秀4歳以上牝馬)」を獲得しました。
2001年1月5日に京都競馬場で行われた引退式でファレノプシスはゼッケン「2」をつけ、その馬名の由来となった「胡蝶蘭で編まれた豪華なレイ(首飾り)」を首にかけられ、また関係者には胡蝶蘭の花束が手渡されました。
多くのファンに見守られながら、2度咲いた胡蝶蘭はターフを去っていったのです。
引退後のファレノプシス

引退後のファレノプシスは、生まれ故郷である北海道新冠町のノースヒルズマネジメントにて繁殖牝馬となりました。
その血統背景の優秀さから、サンデーサイレンス系をはじめとする名種牡馬と交配され、通算で11頭の仔を産みます。
重賞を勝つ産駒こそ出ませんでしたが、阪神JF4着、フィリーズレビュー2着の成績を残した6番仔ラナンキュラスや、ファンタジーS3着の5番仔アディアフォーンなど牝馬の活躍馬を輩出しました。
その後は繁殖生活を引退し、功労馬としてノースヒルズで悠々自適の余生を過ごしていた中、2016年7月1日にくも膜下出血のため、ファレノプシスは21歳で息を引き取りました。
11頭の子供のうち9頭が牝馬だったため、ファレノプシスの血(パシフィックプリンセスから続く名牝系)は、娘たちを通じて現在も脈々と受け継がれています。
ファレノプシス(胡蝶蘭)は、一度花が落ちてしまっても、諦めずに丁寧なお手入れを続けていれば、再び美しい花弁を咲かせる非常に生命力の強い植物です。
幼少期の病弱さを克服して二冠に輝き、長いスランプや度重なるケガに苦しみながらも、最後の最後に見事な大輪を咲かせてターフを去ったファレノプシス。
まさに「胡蝶蘭」そのものであった彼女のウマ娘としての物語を、トレーナーの皆さんの手によって華麗に咲かせてください。



