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アニメ『ウマ娘 プリティーダービー Season 3』で、チーム<カノープス>の新メンバーとして登場したウマ娘、ロイスアンドロイス。
当初は名前が「ス」しか明かされず、ファンの間で様々な憶測を呼びました。
彼女のモチーフとなったのは、重賞未勝利ながらG1戦線で何度も3着に入り、「最強の3勝馬」 と呼ばれ愛された名脇役の競走馬です。
この記事では、そんなロイスアンドロイスの元ネタである競走馬のエピソードを、ウマ娘から競馬を始めた初心者に向けてわかりやすくご紹介します。
ぜひ最後までご覧ください。
競走馬『ロイスアンドロイス』とは
https://umamusume.jp/character/royceandroyce
競走馬『ロイスアンドロイス』は1990年3月10日生まれの鹿毛の牡馬、1993年にクラシック期を迎えた93世代と呼ばれる競走馬です。
父は『ウマ娘シンデレラグレイ』に登場する海外ウマ娘・トニビアンカのモデルとされるトニービン、母は米国の繁殖牝馬・ザッツマイパル。
その素晴らしい馬体から、当初は高級車「ロールスロイス」と命名される予定でした。
しかし、商標の問題でJRAから認可が下りなかったため、最終的に「ロイスアンドロイス」という名前で登録されたという逸話があります。
ウマ娘のモチーフでは他にも、イギリスの高級自動車メーカー・アストンマーティンのもじりであるアストンマーチャン、カタカナ9字以内という馬名規則から最後の「ー」が省略されたマチカネタンホイザなどが、本来付けるはずだった名前が変更された競走馬です。
成績は通算28戦3勝。
特筆すべきはその善戦ぶりで2着9回、3着7回という成績を残しました。
重賞は未勝利ながらG1レースで何度も3着に入り、2億円以上の賞金を稼ぎ出しています。
その勝ちきれないけれど常に上位に来る姿から、ファンからは愛情を込めて「シルバーコレクター」「ブロンズコレクター」と呼ばれ、時期によって様々な「最強」の称号で呼ばれました。
ウマ娘のロイスアンドロイスが「最強」という言葉にこだわるのは、この異名が元になっていると考えられます。
- 最強の未勝利馬
- 最強の1勝馬
- 最強の3勝馬
史実で対戦のあるウマ娘
- ナイスネイチャ 4勝0敗
- マチカネタンホイザ 2勝0敗
- ナリタタイシン 1勝0敗
- サクラチトセオー 1勝1敗
- ビワハヤヒデ 1勝2敗
- ウイニングチケット 1勝2敗
- サクラローレル 0勝1敗
- マヤノトップガン 0勝2敗
- ヒシアマゾン 0勝2敗
- ナリタブライアン 0勝3敗
同期のウマ娘
- ビワハヤヒデ
- ウイニングチケット
- ナリタタイシン
トニービン血統繋がりのウマ娘
- トニビアンカ(シンデレラグレイ) モチーフ馬、史実での父
- エアグルーヴ トニービン産駒
- ジャングルポケット トニービン産駒
トニービンの系譜繋がり
- トーセンジョーダン ジャングルポケット産駒、祖父(父父)がトニービン
- アドマイヤベガ ベガ産駒=母父トニービン
- カレンチャン スプリングチケット産駒=母父トニービン
『最強』と共に駆け抜けた競争生活
https://x.com/uma_musu/status/1737352347297460350
ロイスアンドロイスの競走生活は勝ちきれなくても上位に来る、自分自身の戦い方でファンを魅了し続けた「伝説」の連続でした。
「最強の未勝利馬」誕生(1993年)
1992年に中山競馬場での新馬戦でデビュー、そこから新馬戦と未勝利戦のみ6戦して、結果は2着5回3着1回。
つまり、一度も勝てていないのに5回も2着に来るという珍記録を樹立します。
普通なら下級条件で初勝利を目指すところですが、陣営はなんとダービートライアルの、当時OP戦であった青葉賞(現GⅡ)に出走。
ファンからは「無謀な挑戦」と見られながらも、レースでは直線で力強く伸びて3着に健闘すると、この走りを見たファンはロイスアンドロイスを「最強の未勝利馬」と呼ぶようになりました。
「最強の1勝馬」として菊花賞へ(1993年)
青葉賞の次に走った未勝利戦を圧勝し、「最強の未勝利馬」を返上すると、ラジオたんぱ賞に出走し3着。その後、菊花賞トライアルのセントライト記念(GⅡ)2着に入り、見事に菊花賞への優先出走権を獲得します。
この時点でファンは新たな称号「最強の1勝馬」を確信しましたが、本番の菊花賞ではビワハヤヒデ・ナリタタイシン・ウイニングチケットのBNW三強に次ぐ4番人気に支持されるも、7着に敗れました。
「最強の3勝馬」へ – G1戦線での奮闘(1994年)
3勝目を挙げてオープンクラスに復帰した1994年の秋、ロイスアンドロイスの『最強』伝説は最終章を迎えることとなります。
オールカマー(G3)3着(1着はビワハヤヒデ)、天皇賞(秋)(G1) 3着、ジャパンカップ(G1)3着と、G1を含む重賞戦線で3連続3着という偉業(?)を達成。
特にジャパンカップでは、直線で一瞬先頭に立つ見せ場を作りファンを熱狂させる活躍によって、ナイスネイチャに続く「新・Mr.3着」と呼ばれ、「最強の3勝馬」の称号を不動のものとしました。
その後も走り続けましたが、かつての輝きは徐々に影を潜めていきます。
1995年の富士ステークスで最後の3着を記録するも、G1では掲示板に載ることができなくなりました。
そして1996年の天皇賞(春)で11着に敗れ、これがロイスアンドロイスのラストランとなったのです。
『最強』の悲しき最後

立て直しを図るため放牧に出ていた1996年6月14日、ロイスアンドロイスは腸捻転を発症し、現役のまま6歳という若さで死去。
レース中の事故死ではなかったため、その死が大きく報じられることはありませんでした。
ウマ娘でのロイスアンドロイスが悲壮感を漂わせるのではなく、どこか飄々としてセルフプロデュースに励むキャラクターとして描かれているのは、こうした背景があるのかもしれません。
G1を勝つことはおろか、重賞タイトルすら手にすることなくターフを去ったロイスアンドロイスですが、その個性的な戦績と記憶に残るレースぶりは、今なお多くの競馬ファンに語り継がれています。



