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【ウマ娘】希望の名を背負った不屈のダートキング、エスポワールシチーの元ネタ解説!

ウマ娘元ネタ
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「ウマ娘 プリティーダービー」に登場する、ちょっと(かなり?)口は悪いけど、根は優しくてアツいギャルウマ娘「エスポワールシチー」。

赤ずきんの劇で「おとなしく食われろって言ってんだよ、このババア!!」なんて過激なセリフを放つ一方で、病弱なお母さんを想う家族思いな一面や、仲間を気遣う優しさを見せる彼女にグッときたトレーナーさんも多いのではないでしょうか。

そんなエスポワールシチーですが、元になった競走馬も、「希望」という名の通り、何度もどん底から這い上がり、多くの人々に希望を与えた不屈のダート王者でした。


この記事では、そんなウマ娘エスポワールシチーのモチーフとなった、競走馬「エスポワールシチー」についてウマ娘から競馬を始めた初心者の方にもわかりやすくご紹介します。



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競走馬『エスポワールシチー』


競走馬『エスポワールシチー』は2005年4月22日生まれ、2008年がクラシックの08世代と呼ばれる競走馬です。

父: ゴールドアリュール 母: エミネントシチー 母父: ブライアンズタイム という血統で、名前の由来は馬主である友駿ホースクラブの冠名「シチー」と、フランス語で「希望」を意味する「エスポワール(Espoir)」からきています。


父ゴールドアリュールはダート界の名種牡馬で、ウマ娘でもおなじみスマートファルコンとは同じ初年度産駒の同期にあたります。
また、近親にはクラシックで活躍したゴールドシチーもシチーの血統ゆかりの馬です。


エスポワールシチーを一言でいうと「気性の荒い暴れん坊。だけどダートを走らせたらめちゃくちゃ強い不屈の王者」です。

気性が荒く、デビューが遅れるなどの苦労もありましたが、ひとたびダート路線に転向するとその才能が爆発。
JRA(中央競馬)と地方競馬の垣根を越えて、GⅠ級競走で9勝という、当時の日本記録に並ぶ偉大な記録を打ち立て、ファンからは親しみを込めて「エスポ」と呼ばれていました。

獲得賞金は10億円を超え募集価格1200万円に対する回収率は実に8527%
これは当時の歴代1位という驚異的な記録で、馬主にとってはまさに「希望」の星となる孝行息子でした。


同期のウマ娘08世代

  • スマートファルコン 

史実で対戦したウマ娘

  • トランセンド 
  • ワンダーアキュート 
  • ホッコータルマエ

友駿ホースクラブ(シチー冠)繋がり

  • ゴールドシチー
  • タップダンスシチー

ゴールドアリュール産駒繋がり

  • スマートファルコン
  • コパノリッキー

その他にも、古豪カネヒキリヴァーミリアン、後のダート王ホッコータルマエフリオーソなどダート競馬の歴史を彩った名馬たちと数々の名勝負を繰り広げました。

そしてウマ娘でルームメイトであることが判明した、コパノリッキー
実はこの2頭、競走馬時代には直接レースで戦ったことはありませんが、父親が同じゴールドアリュールなので、史実では「異母兄弟」にあたります。


二人の騎手と歩んだダートのGⅠ級9勝


ウマ娘では反抗的な態度を見せつつもトレーナーを信頼していく様子が描かれますが、元ネタの競走馬も一筋縄ではいかない性格で、気性の荒さからデビューは遅く3歳の春。
当初は芝のレースを走るもなかなか結果が出ませんでした。

しかし、その年の夏にダートへ転向するとその才能が開花し圧勝に次ぐ圧勝で、一気にダート戦線の主役候補に躍り出でました。


4歳でマーチステークス(GⅢ)で重賞初制覇を飾り、その勢いのままかしわ記念でGⅠ級を初制覇すると、秋にはマイルチャンピオンシップ南部杯ジャパンカップダート(GⅠ)と立て続けに勝利を重ね、GⅠ級3連勝で文句なしの最優秀ダート馬に選出されました。


そして5歳になると年明けのフェブラリーステークス(GⅠ)、続くかしわ記念も勝利し、GⅠ級5連勝を達成したエスポワールシチーはもはや国内に敵なしと、秋にはアメリカ競馬の祭典「ブリーダーズカップ・クラシック」に挑戦します。

しかし世界の壁は厚く10着に大敗したことをきっかけに、一時スランプに陥ってしまいます。


その後スマートファルコンやトランセンドといった新世代の台頭もあり、エスポワールシチーにとって苦しい時期が続きます。

しかし7歳になった2012年、かしわ記念でフリオーソを破り2年ぶりのGⅠ級制覇を果たすと、マイルチャンピオンシップ南部杯も制し完全復活を見せつけました。


そしてこのエスポワールシチー復活を語る上で欠かせないのが二人の騎手、佐藤哲三騎手後藤浩輝騎手です。


気性が荒く、その能力を引き出すためには厳しい調教が必要不可欠だったエスポワールシチー、その調教を担当した主戦の佐藤哲三騎手は「この馬とならGⅠを勝てる」と信じていましたが、あまりの厳しさにエスポからは嫌われてしまっていた、というエピソードも残っています。

そんな二人三脚でダート界の頂点に立ったエスポワールシチーですが、相棒の佐藤騎手がレース中の落馬事故で騎手生命を絶たれるほどの大怪我を負ってしまったのです。

主戦騎手を失い、成績も下がる一方のエスポワールシチーに対し、誰もが「もう終わったか…」と思ったその時、白羽の矢が立ったのが同じく大怪我からの復帰を目指していた、後藤浩輝騎手でした。

後藤騎手は「自分が哲三さんになりきる」と、過去のレース映像を徹底的に研究。
そして見事エスポワールシチーを復活の勝利へと導きます。
レース後、後藤騎手は「自分と性格的な波長が合うと感じた」、テレビで観戦していた佐藤元騎手は「まるで俺が乗っているようだった」と語り、その復活劇は多くのファンの涙を誘いました。


佐藤騎手の負傷という悲劇を乗り越え、後藤騎手と新コンビを組んだ8歳の2013年には、マイルチャンピオンシップ南部杯を連覇、さらにJBCスプリントも制覇。
これにより、ヴァーミリアンが持つGⅠ級9勝の日本記録に並ぶという偉業を成し遂げ、その年のジャパンカップダートを最後に引退しました。


引退後のエスポワールシチー

エスポワールシチーひとコマ

引退後のエスポワールシチーは種牡馬となり、北海道の優駿スタリオンステーションで暮らしています。


産駒は主に地方競馬で大活躍。
デビューした産駒の世代で最も稼いだ種牡馬、「地方ファーストシーズンリーディングサイアー」に輝き、2022年にはついに地方競馬の総合リーディングサイアーを獲得しました。
亡き父ゴールドアリュールの後継種牡馬として、確固たる地位を築いています。


2023年には、産駒のイグナイターが父も制したJBCスプリントを勝利し、見事親子制覇を達成。
さらにドバイのGⅠレースにも挑戦するなど、その血は新たな「希望」を生み出し続けているのです。

ウマ娘エスポワールシチーの口の悪さや反抗的な態度は、元になった競走馬の激しい気性、そして仲間や家族を想う優しさとアツい心は、度重なる苦難を乗り越え、鞍上やファンの想いを背負って走り続けた不屈の魂から来ているのかもしれませんね。

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