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2024年6月24日のぱかライブにて、カルストンライトオ・ビリーヴ・ドリームジャーニー・ブエナビスタと共に登場が発表されたデュランダルが9月20日に実装となりました。
様々なゲーム・小説で登場する「伝説の聖剣デュランダル」と同じ名前をしたウマ娘ですが、実際どんな馬だったのか?ウマ娘から始めた競馬初心者にはよくわからないのではないでしょうか。
そこでこの記事では、ウマ娘デュランダルのモチーフとなった『競走馬デュランダル』がどんな馬だったのか、簡単に説明します。
この記事の作者も競馬はウマ娘からなの初心者なので、
血統図や戦績について詳細には書けていません。
ご理解ください。
短距離・追込で頂点に立った『競走馬デュランダル』
競走馬デュランダルは1999年5月25日生まれの牡馬。
2000年代初頭から中頃にかけて短距離レースでは絶対的に不利とされる追込で活躍し、2003年・2004年のJRA賞最優秀短距離馬を受賞するなど、切れ味鋭い走りで多くのファンを魅了しました。
1999年に生まれ2002年にクラシックを迎えた競走馬は02世代と呼ばれ、同期に活躍した代表的な競走馬でウマ娘化しているのは以下の通りです。
- ファインモーション 史実ではデュランダルの2戦2勝
- シンボリクリスエス 対戦なし。武豊騎手繋がり
- タニノギムレット 対戦なし。共通の騎手が騎乗
- ヒシミラクル 対戦なし。四位洋文元騎手が代理で騎乗した繋がり
- ノーリーズン 対戦なし。共通の騎手が騎乗
そして、デュランダルが実際に対戦したことのある競走馬でウマ娘化しているのは以下の4頭です。
- カスルトンライトオ 史実では1つ上、4戦中デュランダルの3勝1敗
- ビリーヴ 史実では1つ上、2戦中デュランダルの1勝1敗
- ダンツフレーム 史実では1つ上、デュランダルの1勝0敗
- ラインクラフト 史実では3つ下、デュランダルの0勝1敗
特にルームメイトでありライバルのカルストンライトオの育成ストーリーでは、ライトオに続く
『おもしれー女』となっているので、デュランダルの育成ストーリーでどのように絡んでくるのか今から楽しみです。
荒い気性のために取った戦術
デュランダル|ウマ娘 プリティーダービー 公式ポータルサイト|Cygames (umamusume.jp)
短距離レースで絶対的に不利とされる追込戦術を取っていた理由は、荒い気性によりどうしてもゲート内で落ち着けないデュランダルの出遅れをカバーするための作戦でした。
デュランダル3歳時に騎乗した武豊騎手からも「後ろから行って大外を回った方が走る」と言われたことにより、大外回りの後方から一気に追い上げるスタイルがデュランダルの基本戦術となっていきました。
まさに伝説の聖剣の名に相応しい、鋭い末脚であったと言えます。
その後主戦騎手となった池添謙一氏は、「この馬は直線だけ勝負すればいいと分かっていた」と語っていました。
しかし、追い込み有利のコースである東京競馬場の安田記念には出走できなかったことが調教師、騎手どちらも大変残念がっていたそうです。
池添の心に突き刺さった聖剣
ゲーム内画像:一コマより
競走馬として引退後は日高町のブリーダーズスタリオンステーションで種牡馬入りし、初年度産駒から重賞馬を輩出、2011年の優駿牝馬を産駒のエリンコートが勝利するなど種牡馬としても期待されたデュランダルですが、2013年7月7日、心臓麻痺により馬房内で死亡しているのが発見されました。
2003年のセントウルステークス以降コンビを組んでいた池添謙一騎手は引退後も毎年会いに行き、携帯電話の待ち受け画面はデュランダルの画像、死後も墓参りをしていました。
2022年8月にはコロナ禍などの諸事情のためなかなか行けなかった墓参りの画像をX(旧Twitter)に投稿するなど、非常に深い思い入れがあったようでこれらのエピソードから
「デュランダルは池添の心に突き刺さった聖剣」と言われることもあります。
ウマ娘デュランダルの求める忠義を尽くすべき王、運命のトレーナーとは池添謙一騎手のような人物なのかもしれません。
「心に突き刺さった聖剣」ではなく、「聖剣の心に突き刺さったトレーナー」として育成していきたいです。