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『ウマ娘プリティーダービー』5周年を記念した「ぱかライブVol.62」にて登場し、その「天使のような慈愛」と「芯の強さ」で注目を集めているヴィクトワールピサ。
ゲーム内ではネオユニヴァースを「お父様」と慕い、宇宙的なスケールの会話にも優しく寄り添う姿が印象的なウマ娘です。
周囲から「まるで天使のよう」と評される心優しさ、そして孤独に陥っている人が「希望」を抱けるまで寄り添い続けるなど、穏やかながら芯の強そうな性格をしているヴィクトワールピサのモチーフとなった競走馬は、日本競馬史に語り継がれる「希望の光」となった名馬でした。
この記事では、そんなヴィクトワールピサの元ネタである競走馬『ヴィクトワールピサ』はどのような馬だったのか?
その希望を届けた生涯を、ウマ娘から競馬を始めた初心者に向けて、わかりやすくご紹介します。
ぜひ最後までご覧ください。
競走馬『ヴィクトワールピサ』とは
https://umamusume.jp/character/victoirepisa
競走馬『ヴィクトワールピサ』は2007年3月31日生まれの黒鹿毛の牡馬、2010年にクラシックを迎えた10世代と呼ばれる競走馬です。
父は皐月賞と東京優駿(日本ダービー)を制した二冠馬で、ウマ娘でもおなじみネオユニヴァース。
母はイギリスで重賞2勝を挙げ、日本でアサクサデンエン、スウィフトカレント等を輩出したホワイトウォーターアフェア。
母父には『20世紀後半に最も成功した種牡馬』と評された、アメリカの種牡馬ミスタープロスペクターの仔で、大成功種牡馬となったマキャベリアンを持つことから、デビュー前からその良血を期待されていました。
名前の由来はフランス語で「勝利の山」を意味する「Victoire Pisa」に、馬主の経営する高級時計・宝石販売の社名「ピサ・ダイヤモンド」の冠名「ピサ」を合わせたものです。
ヴィクトワールピサを語るうえで外せない事は、日本馬として初めて世界最高賞金額レースの一つ、ドバイワールドカップを制覇したことにあります。
レース優勝当時は東日本大震災の直後(約2週間後)という、日本中が深い悲しみに包まれ沈んでいた時期でした。
そんな中ドバイで見せた雄姿と届けられた勝利は、心に深い傷を負った日本の競馬ファンに大きな勇気と希望を与えたのです。
史実で対戦のあるウマ娘
- エイシンフラッシュ 3勝3敗
- ルーラーシップ 2勝1敗
- トーセンジョーダン 2勝1敗
- ブエナビスタ 2勝3敗
- ローズキングダム 2勝4敗
- ドリームジャーニー 1勝0敗
- レッドディザイア 1勝0敗
- トランセンド 1勝0敗
- ナカヤマフェスタ 1勝1敗
- ウインバリアシオン 0勝1敗
- オルフェーヴル 0勝1敗
同期のウマ娘
- エイシンフラッシュ
- カレンチャン
- ルーラーシップ
- ローズキングダム
血統繋がりのウマ娘
- ネオユニヴァーズ 史実での父、ミルコ・デムーロ騎手繋がり。
- サウンズオブアース ネオユニヴァース産駒、ミルコ・デムーロ騎手繋がり。
- ヴィルシーナ 母父マキャベリアン繋がり。
- シュヴァルグラン 母父マキャベリアン繋がり。
- ヴィブロス 母父マキャベリアン繋がり。
角居勝彦厩舎繋がりのウマ娘
- シーザリオ
- ウオッカ
- ルーラーシップ
- エピファネイア
- キセキ
日本に勇気と希望を届けた名馬
https://x.com/uma_musu/status/2026178048945762725
ヴィクトワールピサの現役生活は常に強敵との戦いと、劇的な逆転劇に満ち、まさに「方程式」を解き明かすような進化の連続でした。
宿敵との出会いと重賞制覇
ヴィクトワールピサのデビュー戦は、2009年10月25日京都競馬での新馬戦。
結果は惜しくも2着、ここで負けた相手が後に一生のライバルとなるローズキングダムでした。
その後、未勝利戦・京都2歳Sを連勝し挑んだ重賞、ラジオNIKKEI杯2歳S(GⅢ)では後方から一気に差し切り、重賞初制覇をします。
3連勝でクラシック候補、そして「世代屈指の実力馬」に名乗りを上げました。
皐月賞馬、そして有馬での激闘
年が明けて弥生賞(GⅡ)では直線で進路が狭くなる不利を跳ね除け勝利をおさめ、2010年4月18日に開催の皐月賞(GⅠ)へ出走します。
ところが主戦の武豊騎手が負傷降板するアクシデントが発生し、岩田康誠騎手へ乗り替わりとなりました。
それでも1番人気に応え、最内から一瞬の隙を突いて抜け出す鮮やかな走りで見事GⅠ初制覇。
父ネオユニヴァースとの父子2代制覇を見事成し遂げたのです。
続くクラシック二冠のG1東京優駿(日本ダービー)では皐月賞と同じく1番人気に支持されますが、超スローペースに泣き3着。
その後フランスへ遠征し、ニエル賞(GⅡ)で4着、日本の3歳馬として史上初めてフランスの最高峰レース、凱旋門賞(GⅠ)へ挑みますが結果は7着と惨敗に終わります。
帰国後初戦となるジャパンカップ(GⅠ)では、ローズキングダム・ブエナビスタと死闘を演じますが、両者に及ばず3着。
しかし2010年12月26日開催の有馬記念(GⅠ)、新たにミルコ・デムーロ騎手とコンビを結成すると、早めに仕掛ける積極策で、最強牝馬ブエナビスタをわずか2センチ差で退け優勝を果たします。
この勝利にデムーロ騎手は馬上で男泣き、そしてこの勝利によってヴィクトワールピサは最優秀3歳牡馬に輝いたのです。
日本を勇気づけたドバイの夜
2011年は中山記念(GⅡ)で重賞5勝目を挙げ、ブエナビスタ・トランセンドと共にドバイワールドカップ(GⅠ)へ招待されます。
東日本大震災の発生からわずか2週間後。
日本中が深い悲しみに包まれる中、ヴィクトワールピサは世界最高賞金レースに挑みました。
レースはスタートで出遅れる絶望的な展開となりながらも、デムーロ騎手は「ピサを信じて」向こう正面で一気にまくる大勝負に出ます。
直線、逃げるトランセンドをかわして競り合いを制し、日本馬初のドバイWC制覇という歴史的快挙を成し遂げました。
この勝利は、東日本大震災で心に深い傷を負った日本の競馬ファンに、大きな勇気と希望を届けました。
ウマ娘のヴィクトワールピサが「希望」という言葉を大切にするのは、この史実が背景にあるのです。
ミルコ・デムーロ騎手のコメント
『日本にとって非常に難しい時期に、この勝利が少しでも力になれば。私の心は日本と共にあります』
『日本のために祈っていた。ピサが大きな勇気を与えてくれた。神様、ありがとう』
希望を届けた名馬、引退へ
秋シーズンは香港のクイーンエリザベス2世カップ(GⅠ)や、凱旋門賞再挑戦を目指しましたが、故障によりこれらレースを回避します。
そして帰国後はジャパンカップで13着、連覇をかけた有馬記念でもオルフェーヴルから大きく離された8着に終わり、このレースで引退を発表。
2012年1月に引退式を行い、日本馬初のドバイWC制覇という大きな勇気と希望をもたらした名馬はターフを去っていったのです。
引退後のヴィクトワールピサ

引退後のヴィクトワールピサは、社台スタリオンステーションで種牡馬入りします。
初年度産駒からジュエラーが桜花賞を制覇し、デムーロ騎手がその背に乗って勝利した際は「ピサの子供で勝てて嬉しい」と語り、再びファンを感動させました。
しかし、その後は爆発的なヒットに恵まれず、種付け頭数は減少。
2017年にはブリーダーズ・スタリオン・ステーションへ移動することになります。
2020年になるとトルコジョッキークラブに購買され、ヴィクトワールピサは異国の地トルコへ渡り種牡馬生活を開始ます。
日本では「失敗」の烙印を押されかけていたヴィクトワールピサでしたが、トルコで奇跡が起きました。
2025年のガジ賞(トルコダービー)にてトルコでの初年度産駒クサが優勝、さらにハンサムキングが2着に入り、産駒が1着・2着を独占するワンツーフィニッシュを達成。
この快挙によりヴィクトワールピサの評価は急上昇し、2026年現在の種付け料はトルコの繋養種牡馬の中で、600,000トルコリラ(約220万円)に設定されています。
日本からトルコへ。海を越えてもなお「勝利」と「希望」を届け続ける姿は、まさにウマ娘での彼女の願いそのものです。
単に足が速いだけの馬ではありません。
苦境の中で方程式を書き換え、絶望的な状況から捲り上げ、人々に笑顔を取り戻させたヴィトワールピサ。
ゲームで彼女を育成する際は、ぜひこの「ドバイの夜に輝いた星」の物語を思い出してみてくださいね。



